ラー・コンタクト 一なるものの法則の教え 一巻 - #4-2 序説2

◆序説2
更新日:2020/05/01
  • 私個人の感想・解釈・注釈等は『(※』『※)』で囲っています。
  • 本文中の四角括弧(ブラケット:[])は編著者の追記です。

The Ra Contact
Teaching the Law of One
(Copyright © L/L Research)
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p.18 - 22
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ラーの接触はどのようにしてなったか

ドン・エルキンズは高校生の時、人生についての大きな質問を尋ねることを始めました。毎日読み書き計算中に彼はひっそりと考えていました:人生の意味は何か?宇宙はどれ程の大きさで、どのように作用しているのか?私達は何を知らないのか?パズル片を合わせ理解し置くというその望みは、彼が肉体を持っている間ずっと衰えずに持続しました。彼の職業人生においてエルキンズは機械工学と物理学両方の教授であり続け、彼のプライベートの生活ではUFO、生まれ変わり、超常的なものの項目のもとにつぎはぎで作り上げられるかもしれない調査といったその他領域の、決然とした研究者でした。彼は現代科学は宇宙の根源の作用と目的を明らかにするには届かないことを悟り、科学が与えることができない答えのためにこれらの分野(※=UFOや生まれ変わり等※)に移りました。

カーラ・L・ルカートは、子供時代から知性と大いに深い個人的な信念が高まっていった才能ある人でした。後者の点(※=大いに深い個人的な信念※)において、彼女は自分自身を「ゆりかご聖公会員」、そして、ついには、神秘的なキリスト教徒と呼んでいました。前者の点で、カーラは学校で出されたどんなテストも身につけることに優れた早熟の子供でした。最も中心では、頑固な境遇で成長したにもかかわらず、カーラは生命の愛と共に反響しました。彼女は踊り、唄い、自然と共に作用し、献身と奉仕の人生を体現して生きました。人々がしばしば彼女を純潔で純朴として見なし、彼女の純真さを減らしてしまうと彼らが感じる世界に対して、カーラを保護し護衛することを幾人かに望ませるほど、彼女は愛情的な観点でとても献身的でした。

1961年の遅くにドンは、以前UFOの存在との直接遭遇の経験をした人であるミシガン州デトロイトのウォルト・ロジャーズによって編集された、The Brown Notebookと独創的に表題を付けられた小さく、茶色い本を得られました。ロジャーズ氏は1950年代から同様の遭遇でたびたび報告されている現象の、この存在との「後に残るテレパシー的コンタクト」を見せました。ロジャーズの茶色の筆記帳は、地球外と言われているソースからの真実の哲学的な特性についての情報を含んでいました。頻繁に一緒に瞑想をする人々の団体は、地球外存在とのテレパシー的コンタクトを通して、どのようにしてこの種の情報を受け取ることができるかも記述されていました。この情報に基礎を置く、筆記帳のチャネルされた情報と彼自身の作業との間の相関性に、エルキンズはとてもすっかりと感銘を受け、彼はケンタッキー州ルイビルで彼の物理学の生徒12人程と共に実験を試みようと決心しました。

その知らせはこれら生徒の一人のあるガールフレンドの耳に届きました。彼女は最近、瞑想の静と愛への興味を猛烈に駆り立てていたので、彼女は参列を尋ねました。彼女の名前はカーラ・L・ルカートでした。

ドンは、もし彼らが一緒に瞑想をすればことによると興味深い何かが起こせるというだけで、何が起きるであろうかは教えませんでした。彼は実は、意図を吹き込むことなしで生徒が地球外のテレパシー的コンタクトを受けるのかどうかを見てみる、科学的実験を行おうと試みていました。幾らか時間が経過しましたが、決定的な結果は生まれませんでした。ウォルト・ロジャーズはグループを訪ね、彼の情報源、彼が直接遭遇を経験した存在であるハトンからチャネルを受けました。ハトンは、彼らはドンのグループの幾人かを通してチャネルしようと試みているが、生徒は受け取っている─しかし言語化されていない─印象が地球外存在からであることを気付いていない、と言いました。エルキンズは、このイベントでは実験の科学的妥当性は無効だと感じましたが、結果が出始めました。この訪問の後、カーラを除いたグループの皆がチャネルの仕方を学びました;彼女(※=カーラ※)は黙想を好んでいました。

この出会いの後のカーラとドンの各自の進路はしばらくの間、異なる道筋上に彼らを連れていきましたが、彼らはやがては再会し、1968年に調査と探索の共同任務に公式に集いました。二年後、彼らは1976年にL/L Researchにその名称を変えたL/L Companyを作りました。そして1974年──カーラがドンの最初のチャネリング実験に出席した十二年後──ドンはカーラにチャネリング奉仕をやってみないか尋ねました。偶然ではなく、これはエルキンズが実際にチャネリングのカセット録音を保存し(捨てたりとか再利用したりとかではなく)始めたのと同じ年でした。ドンの基礎的チャネリング儀礼を行う改善を結合させた、カーラのチャネリングの素質のおかげで、メッセージは質が飛躍的に前進しました。これらの改善の間、カーラはL/L Researchのチャネリングのスタイルの太鼓判となった、器具とコンタクト要求のチューニングの重要な手順を開発しました。

1978年、ジム・マッカーティはケンタッキー州中部の森の彼の132エーカーの土地に建てた丸太小屋で自給自足の生活をしていました。ある晩、彼はケンタッキー州レキシントンから放送されていたWKQQ局を電池式ラジオで聞いていた時に、UFOの話題についてドン・エルキンズとカーラ・L・ルカートのインタビューを聞きました。魅せられ、ジムはいつか彼らに会ってみたいと思いました。一年後、彼らを知る入植者仲間によってドンとカーラへ紹介を受けた時に、彼の希望は本当となりました。彼らのチャネリング瞑想への参加のため一年間の毎週日曜夜のルイビルへの参会の後、ドンとカーラは彼らの調査を手伝ってくれるようジムを招待しました。ジムは1980年12月23日に彼らのもとへ移りました。

二十三日後の1981年1月15日に、カーラがチャネルの仕方を生徒に教えている間、声がカーラを通して話し言いました、「私はラー」。このセッションの前、カーラのチャネリングの全ては意識的にされていましたが、ラーをチャネルする器具としての奉仕の時は、彼女は全く無意識的に行ないました。ある意味それはドンやカーラやジムには決して全く理解されないことで、彼女はラーの接触のため彼女の肉体を離れました。そしてラーはドンの質問への返答を生むために、遠隔で機械的にカーラの声の弦を操作することができました。最初のセッションに続くその後の全ての105のセッションの間、カーラは無意識に入り込み、彼女を通して来ていたものに全く気付いていませんでした。ドンがラーの言葉の文字起こしを彼女に見せ始めたのは、セッション23までありませんでした。彼はコンタクトの科学的実行可能性を保護するため、それら(※=セッションの録音※)を彼女から前もって引き留めていました。

ラーの接触は、ドンとカーラとジムが次の三年と三カ月間この接触に完全に自分自身を捧げる、識見の深さと未来像の広がりに前へと進む大変な量子跳躍でした。1


ラーとの対話

ラーの接触の型は質問と答えのみでした。彼らはこの形式が、グループ内のそれぞれの人の自由意思が縮小されないことを確保するには最も良いと感じていました。ラーは彼らの接触を「狭い帯域」として述べていて、それが意味する幾つかのことは:一、相当な集中と鍛錬が彼らの接触を維持するのに必要とされること;二、情報の質が、意識的なチャネリングを通して得られるよりもより精密さと深さとなること;そして三、彼らは、不変の価値の無い一時の情報を避けることを意味する、哲学と永遠の霊的な原理を主として焦点を当てることを希望していることでした。

ラーはドンとカーラとジムを交信することに選びました、なぜなら、もちろん、ドンとカーラは数年間チャネリングの工程を練習し改善してきたからでした。しかしより根本的には、一グループとして彼ら(※=ドン、カーラ、ジム※)は重要で一様のほとんど骨の折らない調和を楽しんでいたから、彼ら(※=ラー※)はこれら三人の探求者を選びました。等しく重要なことは、カーラの望みの絶対的な純粋さと一なる無限の創造者への奉仕となる全体的な献身、特に交信を通して、よりとりわけチャネリングを通して、でした。これらの要因が、一なるものの法則を探索する106のセッションをやがて生み出すこととなる安定した作法で、ラーの接触を支えました。

各々セッション前の夜に始めたラーとの接触のための準備は保持されてきました。ドンとカーラとジムは一緒に瞑想し、そしてラーへ持ち出すための新しい質問を作り上げるために前のセッションを再点検しました。カーラの生命のエネルギーを増やすことによって、性的なエネルギー転送がラーのセッションを長くさせることが見つかったため、親密な関係に既に発展していたカーラとジムは、この転送を一なる創造者とラーの接触へと捧げました。セッションの朝に、ドンとカーラとジムは軽い朝食を取り、そしてジムは関節炎の痛みを和らげるためカーラの背中をマッサージし、やがては彼女が動かずに横になって約一時間行なうようになりました。

朝食とセッションの合間、彼らはリビング・ルームで一緒に瞑想し、この瞑想の間ドンはラーに尋ねるための別の一つないし二つの質問をしばしば受けていました。それから彼らはラー部屋へ床につき、カーラを部屋の中央のベッドへ位置させました。ジムは録音の成功を確実にするために三つのテープ・レコーダーを設定しました。ラーが「付属品」と呼んだもの──聖書、香、水の杯、ろうそく──を、ドンはそれらが最上の配置となることを確かにするために、ラーの教示があるごとに測りました。(カーラは彼女の教会の祭壇会に奉公し毎週日曜にこれらの品目を祭壇に飾っていたため、これらの品目はカーラにとってそれらの個人的な重要性のためラーによって選ばれました。それらは彼女が肉体から離れる時に彼女を大変楽にするものでした。)

ラーはグループに一なるものの環と呼ぶ保護の儀式を与え、それはドンとジムが他者への奉仕となることの彼らの望みを反映する言葉を繰り返しながらカーラの周りを歩くことでした。それからドンは彼の椅子に座ってラー用の質問を復習し、そしてジムは彼の椅子に座ってセッションの継続時間が長持ちするよう瞑想を始めました。彼はカーラの頭の頂点から足の底までカーラのエネルギーの中心を通って動く光を視覚化しました。一なるものの環を完了した後一分か二分以内に、ラーはセッションを始めました。

ラーとの接触の3年間、ドンは2,600以上の質問をラーに尋ねることができました。彼らの返答はドンに、彼の最も大きく最も緊急の質問に最終的に答えるために必要なパズルのピースの多くを、一つに合わせることを可能にしました。

一なるものを探求する探求者

私達それぞれは真実の探求者だと言いました。真実を探求するための私達の意思と、私達自身と私達を取り巻く世界の中に愛を見つけようとする信念を、私達は強めているので、私達はまた私達の本当の特性、別の言い方に変えれば、一なる無限の創造者をきっと見つけもするでしょう。ラーが言うには:
探求者は一なるものを探求します。この一なるものは、調和のとれた自己を受け入れる自己によって、と私達は言っていますが、その明白な歪みとその全体的な完全との両方に気付くことによって探求されるものです。この調和のとれた気付きの中に落ち着けば、存在はそれ(※=一なるもの?※)である宇宙へ自己を開きます。そうして全ての物の光のエネルギーはこの強烈な探求によって引きつけられ、内なる探求が引きつけられた宇宙のプラーナに出会うところはどこでも、一なるものの現実化が起こります。
私達のチャネリング・セッションの期間、連合はほとんどいつも、メッセージを注意深く考察し、そして自身のために役に立ち本当であることを決定するために自身の認識力を使うことを探求者に助言することでそれぞれのセッションを始め、そして残りを後方に置いていきます。私達は、さらに開かれた洞察力のある精神で接近するためラーの言葉を読む全ての人を励ますため、この本の読者へこの想いを繰り返し言います。私達は「真実な」という言葉を使いますがその上であなたに、あなたはあなたが探求する真実であること、を思い起こすように言います;メッセージや哲学やどんな言葉の組み合わせも、あなたであることを同等としたり代わりに用いるたりすることは決してできません。

あなた自身、あなたの友人と家族、あなたの周りの世界の中の一なる無限の創造者を探求するあなたの旅程を祝福します。
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1ラーとの接触へと次第に至る出来事のより詳細な記述を読むには、Resource本を見て下さい。

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