ラー・コンタクト 一なるものの法則の教え 一巻 - #1 序文

◆序文
更新日:2020/03/04
  • 私個人の感想・解釈・注釈等は『(※』『※)』で囲っています。
  • 本文中の四角括弧(ブラケット:[])は編著者の追記です。

The Ra Contact
Teaching the Law of One
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p.6 - 7
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序文

今まで決して無く、存在しえなかった、真実の探求の意味するところの一つの簡単な定義があります。知識と人間の理想への経路は星の数ほどあり、概要の特徴付けをするのには抵抗があります。したがって、真実の統合、一つの真実について、もし人が話してもよいのなら、全ての知られている限界を超える、この問題に関わる道への出入り口を開けておかなければならず、実際は、分かり易く描写された知識の必要条件の全てを、自身の背後に捨てています。経験を達成できるかどうかの観点から、そのような出入り口を勝ち取るのは困難となるだけで、そのような経験の融合と統合への人の道を勝ち取ることは、確実により多くの困難となります。

そういうわけで、栄光のはかなくおぼろげな感知を与えるために、私達の人間意識を取り囲んでいる厚い覆いが少しでも薄くなる時、何か奇跡─いずれにせよ確かに霊感─が常にあります。そして、覆いを通して、細かく散りばめられた光がとても明るくなった時、それは、不連続に繋がった点において、肉体を持つ存在の全体の曇りを明確に貫き、最大限に注意を払う価値のあるきっかけとなります。人数が増えていっている、その道の探索者達にとって、ラー・コンタクトはそのような光です。

確かに、この作業に含まれている交信は、ずっと前から整えられた文化的なジャンルとしての側面を持っています。それらはチャネルされた(※=チャネリング※)交信のジャンルに属しています。実際、真実の探求者にとって有効なチャネルされた資料の良い供給物がすでにあり、提供されているものを測る時には、注意深い識別力がかなり多く要求されることに気付いている、洞察力のある探求者がより多くなっています。私自身の経験上だけで報告しますと、私がどの試験にも載せることができる位置にいる情報源として、依然としてラー・コンタクトは随一の立場にいます。範囲の点から、一貫性の点から、深さの点から、無尽蔵の点から、対応するものと同等なものがありません。しかしこれらの判断の全ては、単に一読者からの評価にすぎません。私達各々は私達自身の結論に到達しなければなりません。したがって、単純にあなたに原本をお勧めさせて下さい。熱心な読者に私の心からの祝福を伝達することも。

外側から眺めてみると、一なるものの法則に深く長く興味を持つ人々の集まりは、幾分目立っています。科学者、技術者、哲学者、詩人、神秘主義者、経済学者、農場経営者、事業所長が、一つの探求サークルに集められているのは、他のどこにも見つけることが困難で、持ち出されたものの中に共通点を見つけることができます。

完全にぶつかって来ている資料の多価に語りかけます。私は、原本を注意深く読むことより、熟考することより、この多価の中へ入る他の方法について知りません。次々に、その範囲によろめく宇宙の景色の開放を提供する言葉の表現が非常にたくさんあり、同じ時の間でさえ、それらはもっと先の探究の可能性への糸口を与えます。

共同の努力でこの交信を可能にした三人の勇敢な冒険家の話しは、それ自身十分に聞く価値のある物語です。この物語は考慮すべき詳細、そして私が、ゲイリー・L・ビーン(※=ジムの献辞にも出ていた、この本の編著者です。)のTilting at Windmillsでかつて出会ったことと同様に全く真に迫っている、現実の出来事の真実が語られています。その話は、きっと疑いようもなく、純粋に強烈です。一なるものの法則を生むために必要な種類の仕事は犠牲が無しではなかったと学びます。そしてその犠牲は、実に、関係者全てにとって偉大であったことを。私はしたがって、私より前に去ってしまい、愛と光で満たされた開拓地の始まりで決定的な役割を演じた、彼ら勇猛な旅行者へ私の感謝を表現することで、この簡潔な序文を締めくくりたいです。精神のように、霊のように、そして貪欲ですが開かれた心から全てが遠く離れていない精神の届く範囲を、ちょうど超えた場所から常に手招きしている真実を探求することの約束のように、私が他者と一緒に立つことを学んだ、開拓地です。 

スティーブン・タイマン 大学博士
マーフィーズボロ, イリノイ
10月10日, 2016年

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