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キリスト看板に見る聖書あれこれ「私生活も神は見ている」

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みなさんご存じ、通称「キリスト看板」。 現在はネットで検索すれば誰が作って貼り出しているのかすぐに分かると思うので、ここでは前々から気になっていたことを確認するために調べなおした、聖書における意味や言葉について見てみます。 ◆成句のように一文で出てくるものはほとんどない 今回初めてキリスト看板の言葉を一通り確認して知ったのですが、基本は聖書に出てくる逸話や言葉をまとめて簡潔にしたものなので、○○書第何章の何節に出てくるとはっきり言えるものは残念ながら?ほとんどありません。 どうやらキリスト看板戦隊のリーダー格「 神と和解せよ 」が例外だったようです。 日本語訳聖書や英訳聖書でいろいろな語句で検索してみましたが、今回の言葉はそれらしい箇所は見つけることはできませんでした。 ◆意味はほとんどの方が想像している通り… 説明が不要なくらい意味はそのまんまで、キリスト教の聖書(新約聖書)でもかなり口酸っぱく書かれています。 その為、調べている時に参考にした「聖書配布協力会」さんのサイトの、該当している箇所と思われる部分を引用するに留めます。 神に隠せおおせるものは何一つない… 主は闇の中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。 (コリント第一4:5) 主はすべての心を探り、すべての思いの向かうところを読み取られるからである。 (歴代誌Ⅰ28:9) 造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。 (ヘブル4:13) ( Copyright©, 聖書配布協力会 ) ◆最後に 私としては「 神と和解せよ 」は文法の観点から知ったことが新鮮だったので「私生活も神は見ている」も実は隠された意味が!?とか期待していたのですが、特に何も無さそうで残念でした。 これに関しては宗教観の違いがあるにせよ、日本での「お天道様が見てる」とさほど変わりません。ですが、これは主に実際の行為に対してであり、心の中での思いや意識については違います。キリスト教では心の中も神が見ていますが、日本では心の中を見ているのは自分です。日本の神道では鏡を御神体にすることが多いですがこれは太陽を表すだけでなく、鏡に映った自分を自覚するとい