キリスト看板に見る聖書あれこれ「神と和解せよ」

ネコと和解せよ Be reconciled to Cat

みなさんご存じ、通称「キリスト看板」。
現在はネットで検索すれば誰が作って貼り出しているのかすぐに分かると思うので、ここでは前々から気になっていたことを確認するために調べなおした、聖書における意味や言葉について見てみます。


1. 聖書における意味
私は文化人類学的に天使が好きなだけでキリスト教徒ではありませんので、詳しくは教会の人達に任せるとして…ざっと聖書検索して流し読みした感じだと、罪が許され(てい)ることを受け入れよって、ことのよう。この和解という言葉の出典はナザレのイェシュアの死による罪の赦しに関することが多いです。

(※2020/06/25追記※)
思いっきり解説を省いていましたが、宗教という特殊なものは一般には分かりにくいので説明しますと、要は罪が許されているんだから、清廉潔白の身としてそれ相応の行いをしなさいとか、卑屈になったり自暴自棄になったりしてはいけませんとかの戒めです。説教臭いのはどの宗教もそうなので諦めて下さいw
なんで「受け入れよ」?というのは、下の2.の言葉についてで述べています。

ちなみに普通に人と人との間で仲直りするというお話しでも登場します。


2. 外国語(英語)では
英語では「reconcile」で、受け身形「be動詞 + reconciled」で使われています。つまり「人」が和解されるということなんです、「神」に、もしくは「神」へと。これは原文のギリシャ語がそのようになっていて意図通りに訳されているということですが、実は日本語訳でもちゃんと受身形で訳されていたりします。
「罪が許され(てい)ることを受け入れよ」というのはそういうことです。
言うまでもないですが全てがこうではありません。当記事で話題にしている箇所のことを言っています。


3. 別の意味を見ると
日本語も似たような意味ですが、英語の「reconcile」は「調和する」という意味もあります。ギリシャ語の方の語源はかなり違う意味のようですが。