一なるものの法則 第一巻 ラー文書 - #1-2-2 カーラ・L・ルカート2

◆交霊会
更新日:2017/10/09
lawofone.info?s=Intro#book-i-introduction

カーラ・L・ルカートさんの前書きの続きです。
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The Law Of One: Book I
THE RA MATERIAL
(Copyright © L/L Research)
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p.7 - 9
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1971年、私は幾つかの実りのない実体化の仲介物の探索にドンと一緒に続けていて、私達はトレドのスピリチュアル教会のジェームズ・ティングレー牧師に保持されている交霊会に行きました。

私達はティングレー牧師の実演を4回見に行きました。最初の見学の前、ドンは簡単にティングレー牧師の会合場所の中と外を調べました。それはコンクリートのブロックで建てられており、車庫のようでした。建物の中にも外にも仕掛けはありませんでした。私はドンがこのようなことをしていたことは知りませんでした。私は単に座って実演が始まるのを待っていました。

今述べた点は超能力の研究といったような類について話す時に重要なことです。ドンは研究団体としての私(※カーラ※)の資産の一つは私の非常な騙され易さだ、といつも言っていました。ほとんどの人は私に冗談を仕掛けることができます、なぜなら私は素早く捉えないからです。私は、やって来た物事を受け取り、それらの表面上の値打ちを受け入れ、その後に起こったことのみを解析する術を持っています。この単純さは超常現象の研究において良い結果を入手するのに肝要な因子となります。証明への渇望は必然的に何もない結果と虚構の実験へと導くでしょう。開かれた心は人を単純にし、他者が体系的に再現できず証拠とは言い難いある種の主観的で個人的な確信へと、その所有者を導きます。しかしながらこの主体的な洞察は、この巻でラーが非常に強く話していて私達が今長い年月をかけて研究した、スピリチュアル的な進化の中心的な部分となっています。

交霊会がー私が参加した全ての交霊会がそうであったようにー主への祈りの復唱と、「Rock of Ages」や「I Walked in the Garden」のような讃美歌の歌で始まりました。およそ26人の人々がこのむき出しの部屋にいて、楕円形で背もたれが真っすぐな椅子に座っていました。ティングレー牧師は質素なカーテンの後ろに立ち去り、折りたたみ椅子に座らされました。最初の交霊会で発生したのは、おそらく私に興味を持っていて、むしろ固形の幽霊と言っていいような、「シスター」として知られる外観でした。彼女は私に話しかけ、ドンを手助けすることに感謝したがっていました。私には近しい友達に修道女はいなかったので、私は全く困惑しました。が、その困惑はそれ程長くはありませんでした。(※ティングレー牧師の交霊会からの※)帰宅中に(※flyingとあるので、おそらく飛行機内でしょう※)ドンが私の記憶を呼び起こし、私が会う前に死んだ、家族内では「シスター」として知られる彼の母親であることに気付きました。

この交霊会とその次の交霊会の両方で、ドンと私が呼ばれた時、私達ははっきりと鮮明に物質化された霊のゴーストのような像を見ることができました。夜間視力が弱い私は特徴を見分けることまではできましたが、ドンはそれぞれの実体の髪の房でさえ見ることができました。

2回目の交霊会中、ことさら感動的な「マスター」が突然現れ、部屋はとても寒くなりました。彼は私達に感化させるメッセージを与えてくれました。そして彼は、自分が実在することを知ってもらうために、私達を触りましょうと伝えてきました。彼は私の腕に打ち傷がつくほど十分に強く触れました。そして彼は、自分はこの密度と違う存在だと知ってもらうために、私達を通り抜けてみましょうと伝えてきました。彼がした事、この出来事を見ることは確かに興味深い気持ち・感覚です。彼は両腕を上げ、この部屋の全ての人々を祝福し、私達を通り抜けて戻り、花の上の小さな水たまり沈んでいき、去りました。

1974年、ドンは私がチャネリング技術の本格的な生徒になる時になったと決めました。彼は、12年間に及ぶシッティングや感覚的なメッセージの受信は十分で、ブラッド・スタイガー(※=作家※)が「宇宙の短い説教」と呼ぶこれらのものにたいして私が応答する時で、それを大いに楽しんでみることだ、と説きました。私達は、私の精神の調整に集中的にとりかかることを図った日々のミーティングを続けるようになりました。日曜夜の私達の瞑想にやって来た人々の多数が、日次ミーティングについて聞き、参加しました。3ヶ月で、私達はおよそ12人の新しいテレパシー受信者を生み出しました。

これら集中的な瞑想の過程において、私達はセッションを始める時は常にテープレコーダーに記録し続けることを習慣として始めました。私は、私達自身のグループが集めた資料の大部分の幾つかを、私達のグループミーティングによって記録され、体系的に地球外観点が提供されている、未出版の原稿「Voices of the Gods」(※ドンとカーラのチャネリング資料の書籍「Voices of the Confederation」の元となっているもののようです。※)を一緒に置いて使います。1976年、ドンと私が「Secrets of the UFO」(自費印刷出版、配達可能)を書き始めた時、この未出版の原稿は大いに役に立ちました。

この時期は、他のことで一つ、シンクロニシティーが起こりました。ドンと私は、1970年にL/L Researchとして公式に共同で従事するようになり、1968年に「The Crucifixion of Esmeralda Sweetwater」(※「一なるものの法則」で語られるポジティブとネガティブの道筋を描いたフィクション小説。L/L Researchのサイトに行けば読めます。もちろん、英語ですが。※)という題名の未出版の本を書いていたのです。

1974年、アンドリア・プハリッチはダブルデイ(※=イギリスの出版社?※)から「URI」(※Uniform Resource Identifier<ヽ`∀´>ニカ?※)という題名の本を出版しました。この本はユリ・ゲラー(※あ、ユリ・ゲラーか(´▽`;)※)に関するプハリッチ博士の調査と、彼らの予期せぬ地球外知的生命体との通信の説話です。コンタクトの形式は全く奇抜で、まず最初に、プハリッチ博士にカセットテープ・レコーダーを始動するよう合図を送るため、灰皿といった幾つかの物体が浮くというものでした。そして、レコーダーのボタンが見えない力でオフにされ、機械は記録する、というものです。再生すると、地球外のソースからメッセージが提供されていました。ドンは、これらのメッセージと私達自身の調査との間には多くの相関関係があると、印象を受けました。

その本はそれ自身の正当性が魅力的ですが、プハリッチ博士のユリとの作業の現実の生活を記した日記の中の人物と、私達の本(※上記フィクション小説「The Crucifixion of Esmeralda Sweetwater」のことのようですね。※)の中の恐らく架空の人物との間には、素晴らしい数の明確で説得力のある類似点があることが、特に私達を魅了しました。私達は、私達が長く続けている研究をアンドリアと共有し記述を比較するため、彼に電話した後、彼に会いにニューヨークへ行きました。親切な私達のホストが私達を迎えるために正面のベランダに出て来た時、私はその家を見て、止まり、困惑しました。彼が住んでいるニューヨーク市の北部地域にある家は、私達の本で彼の片割れが所有している家とそっくりでした。その同一性は非常に近く、私は手助けすることはできないが尋ねました。「アンドリア、あなたのシャクヤク(※=ボタン科の植物※)に何が起こったのですか?私があなたの家について書いた時、私はシャクヤクの茂みがある転回用車道を見たのですが。」プハリッチは笑いました。「あぁ、あれか。あれは3年前に切っちゃったよ。」


交霊会も盛んだった時期です。エクトプラズムとか出してるアレです。最近は全く語られることがなくなり、トリックだと言われているのが現状です。ほとんど話題に上らなくなったのは、宇宙系・スピリチュアル系界隈では理由はあるのですが。嘘か本当か、真実が分かる時が早く来ることを願います。それにしても結局この「マスター」は誰だったんでしょうか。気になります。

あまり興味が無かったので、ユリ・ゲラーを研究してたプハリッチ博士とその著書は知りませんでした。一度は読んでみたいですね。